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東京高等裁判所 平成5年(行ケ)66号 判決

広島市中区加古町12番17号

原告

株式会社日本メディカル・サプライ

同代表者代表取締役

木村創

同訴訟代理人弁理士

川島利和

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官

麻生渡

同指定代理人

磯部公一

田中靖紘

湧井幸一

吉野日出夫

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

一  特許庁が平成2年審判第20258号事件について平成5年3月11日にした審決を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

第二  事案の概要

本件は、拒絶査定を受け、不服審判請求をして審判請求が成り立たないとの審決を受けた原告が、審決は、結論に影響する一致点認定を誤り、また、相違点判断を誤り、さらに、本願発明の奏する顕著な作用効果を看過したものであって違法であるから取り消されるべきであるとして、審決の取消を請求した事件である。

一  判決の基礎となる事実

(特に証拠(本判決中に引用する書証は、いずれも成立に争いがない。)を掲げた事実のほかは当事者間に争いがない。)

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和58年7月5日、名称を「癒着防止材」とする発明(以下「本願発明」という。)について、特許出願(昭和58年特許願第122643号)したところ、平成元年1月17日特許出願公告(昭和64年特許出願公告第2383号公報)されたが、特許異議の申立てがあり、平成2年8月8日特許異議の申立ては理由があるとする決定とともに拒絶査定を受けたので、同年11月14日査定不服の審判を請求し、平成2年審判第20258号事件として審理された結果、平成5年3月11日「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年4月24日原告に送達された。

2  本願発明の要旨(特許請求の範囲)

全部又は大部分が、生体分解吸収性を有する下記の繰返し単位からなる重合体で構成されてなることを特徴とする癒着防止材

〈省略〉

(Rは置換基を有するか又は有しない炭素数1ないし6の2価のアルキレン基を表わす。)

3  審決の理由の要点

(1) 本願発明の要旨は前項記載のとおりである。

(2) 「南山堂 医学大辞典」(株式会社南山堂昭和53年2月11日第16版発行)2109頁左欄「癒着防止対策」の項(以下「引用例1」という。)には、癒着防止対策法の一つとして、腹膜の接着防止のため遮蔽膜(グッタペルカ、ゼラチン膜など)が用いられることが記載されている。また、「高分子加工」30巻6号5頁ないし11頁(高分子刊行会昭和56年6月25日発行。以下「引用例2」という。)には、目的を達してしまったとき速やかに分解し、生体内に吸収してしまって生体に問題を引き起こさない生体分解性高分子がインプラント材として用いられることが記載されている。該生体分解性高分子として、グリコール酸、乳酸、これらの閉環したグリコリド、ラクチドの単独重合体又は共重合体などの脂肪族ポリエステルが示されており、該生体分解性高分子は生体内にインプラントすると加水分解が起こり、生成したオキシ酸は乳酸デヒドロゲナーゼ、グリコレートオキシターゼのような酵素によって炭酸ガスと水にまで分解されることが示されている。

(3) そこで、本願発明と引用例1記載のものとを対比すると、引用例1に示されるゼラチン膜は明記されていないものの、生体分解性で吸収性であり人体に無害のものであることは当業者に周知のことであるので、両者は、生体分解吸収性を有する重合体で構成された癒着防止材の点で一致し、生体分解吸収性重合体が本願発明では、前記本願発明の要旨記載のとおりの繰返し単位からなるのに対して、引用例1にはこの点が示されていない点で相違すると認められる。

(4) 上記相違点について検討すると、本願発明で用いられる生体分解吸収性重合体と同じものは、前記したように引用例2に示されている。癒着防止材はインプラント材の一つであるから、引用例2に示される生体分解性でかつ生体吸収性であるグリコール酸、乳酸の単独又は共重合体を引用例1記載のゼラチン膜などの癒着防止のための遮蔽膜として用いようとすることは、当業者が容易に想到しうることと認められる。該生体分解性重合体膜の分解は引用例2に示されるように数か月を要することから、該膜が分解吸収される前に癒着防止機能を十分に発揮することは明らかなことであって、本願発明による作用効果は、引用例1及び引用例2記載のものから予測される範囲内のものであって格別なものとは認められない。

(5) したがって、本願発明は、引用例1及び引用例2記載のものから当業者が容易に発明をすることができたと認められるので、特許法29条2項により特許を受けることができない。

4  本願明細書に記載された本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果

(この項の認定は甲第3号証、第5号証による。)

(1) 本願発明は、癒着防止材、更に詳しくは外科手術用として生体組織、例えば皮膚、血管、あるいは臓器などの癒着防止に有用な材料に関する(願書に最初に添附した明細書(以下「当初明細書」という。)2頁6行ないし8行)。

生体組織、例えば血管や腎臓、肝臓、腸等の臓器は各々粘膜とか漿膜により包まれ保護されており、各臓器間で独立に作用し機能している(同2頁9行ないし11行)。しかし、殆んどの外科領域にわたって、生体組織の癒着が大小にかかわらず起こる。この癒着の原因としては色々あるが、特に手術操作に伴う生体組織の機械的あるいは化学的な刺激、術後の細菌感染や炎症、合併症が原因となる場合が多い。したがって、術後に生体組織間の癒着を防止する必要がある。従来、癒着防止対策として流動パラフィン、オレフ油、カンフル油、コンドロイチン硫酸、尿素、ナイトロミン等接着防止剤が使用されているが、これらは一時的な癒着防止対策にほかならずあまり効果がない。また、術後に癒着が懸念される部位に癒着防止膜として、グッタペルカやテフロン等の高分子膜が使用されてきたが、これらは創傷の治癒後、異物として体内に残存するため、将来にわたって問題がある。さらに、生体分解吸収性のゼラチン膜も癒着防止のために使用されることがあるが、強度が弱く生体への吸収速度が速いので、癒着を十分に防止することができず、限られた用途にわずかに使用されているのみである。本願発明は、特定の生体分解吸収性高分子を癒着防止に用いることにより、上記の問題点をすべて解決すること(同6頁1行ないし15行、手続補正書2頁6行ないし17行)を技術的課題(目的)とするものである。

(2) 本願発明は、前記技術的課題を解決するために本願発明の要旨(特許請求の範囲)記載の構成(手続補正書4頁2行ないし8行)を採用した。

(3) 本願発明は、前記構成により、前記(1)の欠点のない、かつ、生体内の癒着の発生するおそれのある部位に挿入しておくだけで癒着を防止することができ、きわめて簡単な操作で確実に癒着を防止することができ、しかも、使用後は徐々に分解され、生体内に吸収されるので、従来使用されているグッタペルカやテフロンなどのように使用後に再手術する必要がなく、また、ゼラチン膜のように生体に急速に吸収されることもなく強度も十分にあるので、確実に癒着を防止することができる(当初明細書10頁2行ないし9行、手続補正書3頁11行ないし13行)という作用効果を奏するものである。

5  その他の当事者間に争いがない事実

引用例1及び引用例2には、審決が前記3(2)のとおり認定した事実(ただし、引用例2に「生成したオキシ酸は乳酸デヒドロゲナーゼ、グリコレートオキシターゼのような酵素によって炭酸ガスと水にまで分解されることが示されている。」との部分を除く。)が記載されている。

また、本願発明で用いられる生体分解吸収性重合体と同じものが引用例2に示されており、癒着防止材はインプラント材の一つである。

なお、審決にいう本願発明及び引用例1記載のものにおける「生体分解吸収性を有する重合体」、「生体分解吸収性重合体」とは、生体分解前は生体非吸収性であるが、生体分解によって分解され、その分解物が生体に吸収される重合体を意味する。

二  争点

原告は、審決は、引用例1記載のものの技術内容を誤認して一致点認定を誤ったが、その一致点認定は審決の結論に影響するものであり、(取消事由1)、また、引用例1記載のものの技術内容を誤認し、かつ、引用例2記載のものの技術内容及び技術的課題(目的)を誤認して、相違点判断を誤り(取消事由2)、さらに、本願発明の奏する顕著な作用効果を看過した(取消事由3)ものであって違法であるから、取り消されるべきであると主張し、被告は、審決の認定判断は正当であり、仮に審決の一致点認定に誤りがあっても、結論に影響はなく、審決に原告主張の違法はないと主張している。

本件における争点は、上記原告の主張の当否である。

1  一致点の認定の誤り(取消事由1)

審決は、「引用例1に示されるゼラチン膜は明記されていないものの、生体分解性で吸収性であり人体に無害のものであることは当業者に周知のことであるので、本願発明と引用例1記載のものとは、生体分解吸収性を有する重合体で構成された癒着防止材の点で一致する。」と認定判断している。

しかしながら、引用例1に腹膜の接着防止のための遮蔽膜として開示されているゼラチン膜が生体分解性で吸収性であることは当業者に周知のことでないから、上記一致点認定は誤りであり、この一致点認定の誤りは審決の結論に影響を及ぼす。

すなわち、生体分解性重合体とは、生体分解前には生体非吸収性であるが、生体分解によって弁解され、その分解物が生体に吸収される重合体を意味する。ところが、医療用材料として使用されるゼラチンの特性として体温程度の水中で極めて迅速に溶解することが周知であり(甲第12号証232頁)、当業者は、癒着防止剤として引用例1に示されるゼラチン膜を、生体内で水分等により溶解される溶解性の膜と認識するにすぎない。また、ゼラチン膜で形成された癒着防止膜は、溶解吸収によって数日程度で生体内に吸収される(甲第13号証315頁右欄20行ないし26行)。したがって、当業者は、ゼラチン膜を生体分解性とは認識しないというべきである。

そして、審決は、引用例1記載の重合体が引用例2記載のものと同様に生体分解吸収性を有すると認定判断したうえ、その認定判断を前提に容易推考性の結論を導いたのであるから、この一致点認定の誤りは、明らかに審決の結論に影響がある。

2  相違点の判断の誤り(取消事由2)

審決は、「引用例2に示される生体分解性であり、かつ生体吸収性であるグリコール酸、乳酸の単独又は共重合体を引用例1記載のゼラチン膜などの癒着防止のための遮蔽膜として用いようとすることは、当業者が容易に想到しうることと認められる。」と認定判断している。

しかしながら、審決の認定判断は、次の二点から誤りである。

(1) 引用例1に示されているゼラチン膜が生体分解性で吸収性であることは当業者に周知のことでないし、引用例1には生体分解吸収性を有する重合体で構成された癒着防止材という技術的思想は開示されていない。

しかも、ゼラチン膜は、体温程度の水中で速やかに膨潤し、大体3ないし5日程度の短期間で溶解し、吸収されるものであり(前述の甲第12、第13号証)、このようなゼラチン膜の短期間での膨潤及び溶解による吸収は、短期間での癒着防止機能の喪失又は形くずれを来し、該膜の生体内の固定の困難等を生じその使用が難しく、ゼラチン膜の実用性の少ない原因となる。したがって、癒着防止膜の開発に当り、当業者がゼラチン膜の性状に着目したり、又はこれを利用することに想到することは困難である。

そうすると、引用例2記載の重合体を引用例1記載のものに組み合わせて癒着防止材に用いることは、当業者にも容易に想到しうることではない。

(2) 引用例2には本願発明で使用する重合体を縫合糸、骨接合用材料、薬剤徐放システム、人工腱、人工血管等に使用することが記載されているが、以下のとおり、この開示から本願発明の癒着防止材を発明することは容易ではない。

〈1〉 生体分解性であり吸収性であるインプラント材料であるからといって、直ちに癒着防止材として使用できるものではない。すなわち、癒着防止材として使用可能な材料は、生体組織に刺激を与えないとか、炎症を起こさないとか、さらには組織反応が見られないなどの特性を要求され、かっその要求は高レベルのものを必要とする。

〈2〉 引用例2には、ポリラクチドが生体高分子であること、該ポリラクチドを縫合糸、骨接合用材料、薬剤徐放システム、人工腱、人工血管に使用することは開示されているが、該ポリラクチド自体が生体組織に対して癒着防止材として使用しうるような癒着防止性を持った材料であることを開示するところはなく、前記縫合糸、骨接合用材料等は、癒着防止性を必要とするものではなく、むしろ逆に、生体組織の接合を目的として利用するものである(甲第9号証1976頁左欄8行ないし11行)から、本願発明の技術的課題(目的)とする生体組織の癒着防止とは逆の技術的課題(目的)を解決するための材料としてポリラクチドを利用しているのである。

3  本願発明の奏する顕著な作用効果の看過(取消事由3)

審決は、「該生体分解性重合体膜の分解は引用例2に示されるように、数か月を要することから、該膜が分解吸収される前に癒着防止機能を十分に発揮することは明らかなことであって、本願発明による作用効果は、引用例1及び引用例2記載のものから予測される範囲内のものであって格別なものとは認められない。」と認定判断している。

しかしながら、本件出願当時、癒着防止対策としては、引用例1記載のように、流動パラフィン、オレフ油、カンフル油、コンドロイチン硫酸、尿素、ナイトロミンなどの接着防止剤あるいはグッタペルカやゼラチン膜などの癒着防止膜が知られていた。しかし、甲第10号証(2頁左上欄2行ないし8行)に記載されているように、これらの癒着防止剤は癒着防止対策としてはほとんど効果がないものであった。また甲第11号証(2頁左上欄8行ないし15行)の記載からわかるように、本件出願当時、癒着防止剤又は癒着防止材として満足すべきものはなく、さらに本件出願から約7年後の時点においてすら、すべての癒着部位に対して確実な癒着防止能を有し、その使用法が容易な癒着防止剤又は癒着防止材の開発が望まれていた。これに対して、本願発明の癒着防止材は、生体分解吸収性という優れた特性を有するのみならず、重合組成や分子量を適当に選択することにより、それを使用する各症例に合わせて、癒着の起こりやすい期間は生体内で充分にその形態を保っており、癒着のおそれが解消した後は速やかに生体により分解吸収されるものを提供できるものである(甲第3号証8頁13行ないし9頁1行)。この適当な選択によって数か月どころか数週間という短期間でも分解吸収される癒着防止材を得ることもできるのである。

したがって、本願発明の癒着防止材はすべての癒着部位に対して確実な癒着防止能を有するという優れた性質をも有するものであって、本件出願当時公知の癒着防止材の技術水準をはるかに超えた優れた作用効果を奏するものである。

仮に引用例1記載のゼラチン膜が生体分解吸収性の癒着防止材であるとしても、該ゼラチン膜は、本願発明の癒着防止材のように、使用する各症例に合わせて癒着の起こりやすい期間は生体内で充分にその形態を保っており癒着のおそれが解消した後は速やかに生体により分解吸収されるものを提供できるものではない。

このように、本願発明には顕著な作用効果があるのに、審決はこの作用効果を看過した。

なお、引用例2には生体分解性重合体膜の分解に数か月を要することは記載されていないから、審決の前段の認定も誤りである。

第三  争点に対する判断

一  取消事由1について

1  審決において、生体分解性で吸収性である重合体とは、生体分解前には生体非吸収性であるが、生体分解によって分解されその分解物が生体に吸収されるもの、すなわち吸収前に生体内で分解するものを意味していることは、前記のとおり、当事者間に争いがない。

2  本件全証拠によっても、引用例1記載のゼラチン膜が、吸収前に生体内で分解するものであるという上記1の意味で生体分解性である、と認めるには足りない。

もっとも、甲第7号証、乙第1号証によれば、引用例2には、「これまでに最も多量に用いられてきた生体吸収性高分子はコラーゲン(ゼラチン)である。」(10頁左欄3行ないし4行)との記載があり、引用例2の論文の前半部に相当する「高分子加工」30巻5号6頁ないし17頁(高分子刊行会昭和56年5月25日発行。以下「周知例1」という。)には、「これも生体内の酵素によると思われるが酵素による加水分解を利用した最も一般的な医用高分子は、コラーゲンおよびそれが変性したゼラチンである。」(7頁左欄13行ないし16行)との記載があることが認められる。

そして、乙第1号証によれば、周知例1の上記記載は、「生体分解性高分子の種類」の項(6頁左欄15行以下)の中にあり、生体内加水分解は、酵素が触媒として働く加水分解と、酸、アルカリが触媒となる加水分解に大別されることを述べ、次いで前者に使用される酵素、後者の加水分解を受ける高分子を示した後、酵素による分解反応の例を記し、それに続いて上記のように記載されていることが明らかであるから、周知例1の上記記載は、コラーゲン及びゼラチンが生体内で吸収性があるが、また、分解性もあり、この性質を利用してコラーゲン及びゼラチンが最も一般的な医用高分子として使用されることを示したと理解することができる。また、甲第12号証によれば、妹尾学、大坪修編集「最新医用材料開発利用便覧」(R&Dプランニング昭和61年7月31日発行。以下「周知例2」という。)には「食用に供し得るゼラチンが製造されるようになったのは19世紀初頭になってからであり」(225頁左欄13行ないし14行)との記載がある(なお、周知例2は本件出願後に発行されたものであるが、上記記載内容に照らせば、この記載内容は当然本件出願前に周知であったということができる。)ことが認められ、ゼラチンが消化されるものであること、すなわちゼラチンが体内で吸収されるものでありまた分解性をもつことは、本件出願当時周知であったということができる。

したがって、生体分解性を前記1の意味に限定しない限り、ゼラチンが生体内で吸収性のものでありまた分解性のものであることは、周知であったといって差支えない。

しかしながら、甲第7号証、第12号証及び乙第1号証を精査しても、引用例2、周知例1及び周知例2中にゼラチンがインプラント材として使用された場合において吸収前に分解することを明記した記載を見出すことはできず、またその余の証拠を合わせても、ゼラチンが吸収前に分解されるものであると認定することはできないから、ゼラチン膜が癒着防止膜として用いられた場合に前記1記載の意味で生体分解性であるということはできないと判断される。

なお、甲第13号証によれば、麻生弘執筆「手術後腹腔内癒着防止に関する研究」(日本外科宝凾22巻4号。遅くとも昭和28年末までに発行されたことは争いがない。以下「周知例3」という。)には、「ゼラチン膜を腹腔内に挿入すると軟化し腸管に密着する。ゼラチン膜に接触した腸管の運動は稍々抑制されるが、滲出液の出現、線繊素析出等の腹膜刺戟症状は来さない。軟化したゼラチン膜は断裂することなく漸時溶解吸収される。」(315頁右欄20行ないし24行)との記載があることが認められるが、同証にもゼラチン膜が吸収前に分解することは記載されていないから、上記の判断を左右することはできない。

3  そうすると、審決が引用例1に示されたゼラチン膜が生体吸収性であるだけでなく、前記1記載の意味で生体分解性であると認定し、その認定を前提に本願発明と引用例1記載のものとが生体分解吸収性を有する重合体で構成された癒着防止材である点で一致するとした認定判断には、誤りがあるというべきである。

4  けれども、前記2において認定した引用例2、周知例1ないし周知例3の各記載とも対比すれば、引用例1にも記載されたゼラチン膜が生体吸収性で人体に無害であることは本件出願当時当業者に周知の技術常識であるというべきであるから、本願発明と引用例1記載のものとが生体吸収性を有する重合体で構成された癒着防止材の点で一致することは、疑いなく、前記第二の一8(3)のとおり審決もこの点を一致点として認定していることが明らかである。

そして、生体に吸収される癒着防止膜という点から見ると、癒着防止の目的を達したのちに最終的に生体に吸収されることこそが重要であり、引用例1に開示されたゼラチンからなる生体吸収性癒着防止膜が生体分解した後に吸収されるのか、それとも生体分解前に吸収されるのかは、技術的に格別の意義はないというほかはない。

このことは、生体吸収性インプラント材に共通するというべきであり、甲第7号証、第13号証により明らかな、引用例2に「ポリラクチドは、多くの可能性を秘めた興味ある医用材料の出発原料である。(中略)生体が自力で回復するまでの手助けをするだけで、その後は静かに消えていくというのは、まさに理想的な医用材料である。」(10頁左欄23行ないし28行)と記載され、周知例3に「Ⅶ 腹膜損傷部庇護に依る癒着防止 (中略)本目的に適する膜状物質の必要とする条件としては、その物質自体が腹膜に対して全く刺戟とならざることである。然し乍ら如何なる物質にてもこれを腹腔内に挿入する時は、多かれ少かれ異物としての刺戟を与えることは当然である。依って斯る欠点を或る程度回避せんとするには、その物質の吸収時間が腹膜損傷部の治癒に要する時間、(中略)癒着防止に必要なる期間に略々一致することに依り、無用に長期間腹腔内に残存して永く刺戟とならざることが必要である。」(315頁左欄第10表下5行ないし22行)と記載されている事実からも窺うことができる。

要するに、生体に吸収される癒着防止材としては、生体分解するかどうかの点に技術的意義はなく、癒着防止の目的達成後生体に吸収されることにこそ技術的意義があるのであるから、審決は、生体吸収性を一致点として認定した以上、生体分解性について一致点認定を誤りはしても、(後記二のとおり本願発明で用いられる生体分解吸収性重合体と同じものが引用例2に示されていることは当事者間に争いがない。)その誤りは結論に影響を与えないというべきである。

5  そうすると、取消事由1は結局理由がない。

二  取消事由2について

1  原告は、引用例1記載のゼラチン膜が生体分解性で吸収性であることは周知でないし、引用例1に生体分解吸収性を有する重合体で構成された癒着防止材という技術的思想は開示されていない、と主張する。

しかしながら、引用例1に記載されたゼラチン膜が生体吸収性であることが本件出願当時当業者に周知のことであり、生体に吸収される癒着防止膜という観点からは最終的に生体に吸収されることのみが意味を持ち、生体分解するかどうかの点に技術的意義はないことは、前記一において検討したとおりであるから、上記の点に基づいて審決の相違点判断の誤りをいう原告の主張は結局失当である。

2  原告は、ゼラチン膜は、体温程度の水中で速やかに膨潤し、短期間で溶解、吸収され、短期間で癒着防止機能を喪失し又は形くずれして生体内固定することが困難で実用性が少ないから、癒着防止膜の開発に当り当業者がゼラチン膜の性状に着目し、又はこれを利用することに想到することは困難である、と主張する。

前記一2及び4における認定事実及び甲第13号証によれば、本件出願時より約30年も前に発行された周知例3には、「腹膜損傷部庇護に依る癒着防止」の項の下に前記一4掲記の記載があり、これに引き続いて「膜状物質を腹膜損傷部に貼布するという考えは、腹腔内癒着に対する根本的な方策の一つであると考えるので、在来の諸物質中比較的前記条件に適合し、且現在入手容易なるゼラチン膜(中略)等を本目的に使用してその効果を観察した。」(315頁左欄下から2行ないし右欄4行)と記載され、ゼラチン膜を使用した場合について「ゼラチン膜を腹腔内に挿入すると軟化し腸管に密着する。ゼラチン膜に接触した腸管の運動は稍々抑制されるが、滲出液の出現、線繊素析出等の腹膜刺戟症状は来さない。軟化したゼラチン膜は断裂することなく漸時溶解吸収される。」との前記一2掲記の記載及びそれに続く「吸収時間はその厚さに依り長短はあるが、大体3~5日で肉眼にては認められない程度に溶解された。時に腸管相互が軟化し糊状となったゼラチンに依り接着されることがあるが、それが癒着形成の原因とはならずゼラチンの吸収と共に接着部は完全に分離する。」(315頁右欄24行ないし29行)との記載があることが認められる。

この認定事実によれば、原告主張どおり、ゼラチン膜が体温程度の水中で速やかに膨潤し、3日ないし5日程度の短期間で溶解、吸収されることは明らかであるけれども、ゼラチン膜が癒着防止膜として実用性がないとは認められず、かえって、周知例3には、癒着防止膜に要求される特性が記載されたうえ、ゼラチン膜が癒着防止膜として必要な条件に相当程度まで適合するものであり、癒着防止膜として使用に耐えることが示されているといわなければならない。

したがって、癒着防止膜の開発に当たり、当業者が癒着防止膜に要求される特性に注目することは容易というべきであり、当業者がゼラチン膜の上記のような性状に着目し、又はこれを利用することに想到することが困難であるということはできず、上記の原告の主張は理由がない。

3  原告は、癒着防止材の材料は、生体組織に反応が見られないなどの特性を要求され、かつその要求は高レベルであるから、生体分解吸収性であるインプラント材料であるからといって、直ちに癒着防止材として使用できるものではない、と主張する。

しかしながら、本願発明で用いられる生体分解吸収性重合体と同じものが引用例2に示されており、癒着防止材がインプラント材の一つであることは、前記のとおり当事者間に争いがない。

そして、甲第7、第8号証、乙第1号証と前記一2及び4における認定事実によれば、周知例3には前記一4掲記の記載があり、周知例1には、「高分子材料を医療に用いようとするときの大きな障害は、生体が自己防衛のために発動する異物反応である。特にその材料を生体内に長期間インプラントしておく場合には、この異物あるいはそこからの溶出物と生体との反応が深刻な問題を引き起こす可能性がある。」(6頁左欄16行ないし20行)との記載があり、引用例2には、「これまでに最も多量に用いられてきた生体吸収性高分子はコラーゲン(ゼラチン)である。(中略)コラーゲンは(中略)多くの興味ある用途をもっているが、少ないながらも抗原性があり、さらに高強度の成型品が得られないという欠点がある。」(10頁左欄3行ないし10行)との記載があり、美崎晋外執筆「Polyglactin910を用いた腱癒着防止に関する基礎的研究(第1報)」(平成2年発行、日手会誌7巻4号掲載)には「これまでに癒着防止膜として、透析膜、コラーゲン膜など、各種材料による報告がなされている。生体内にimplantすることを考えると、理想としては、異物反応を起さないこと、体内で吸収され、再手術によって摘出する必要の無いこと、腱損傷部の修復を阻害しないことなどが挙げられる。」(17頁左欄8行ないし13行)との記載がある(なお、この刊行物が発行されたのは平成2年であるが、上記の他の証拠の記載とも対比すれば、上記の記載部分は本件出願時までに既に当業者の技術常識となっていた事柄を記載したものと認める。)ことが認められる。

この認定事実によれば、生体インプラント材は生体が回復する期間機能し、その後は生体吸収されることが望ましいこと、生体内に刺激を与えないとか、炎症を起さないとか、さらには組織反応が見られないなどの特性は、インプラント材に共通して通常要求される特性であり、癒着防止材特有のものでないことが明らかであり、また、縫合糸、人工血管、人工腱等の他のインプラント材も癒着防止材と同様体内に挿入するものであることは自明であるから、これらのインプラント材において要求される上記特性のレベルも共通して高レベルであり、癒着防止材に特有のものということができない。

したがって、上記の原告の主張も採用することができない。

4  原告は、引用例2は、ポリラクチドが癒着防止性を持った材料であることを開示しておらず、逆に生体組織の接合を目的として利用するものであるから、本願発明とは逆の技術的課題(目的)を解決するための材料としてポリラクチドを利用している、と主張する。

しかしながら、甲第7号証によれば、引用例2には、ポリラクチド類が縫合糸(5頁左欄2行以下)、人工腱、人工血管(8頁右欄18行以下)等のインプラント材として使用されること、ポリラクチド類は、最終的に生体に吸収され、かつその分解吸収速度を大幅に変化させることも可能であること(10頁左欄3行ないし20行)が記載されている。前記3において検討したところとも対比すれば、前者の点からは、ポリラクチド類を生体内に挿入した場合に生体に対する刺激、炎症、組織反応の問題が少ないことが推測され、また、後者の点からは、生体の自力回復期間に合わせて、ポリラクチド類が吸収されるまでの期間を調整しうることが示唆され、ポリラクチド類が生体吸収性癒着防止材として要求される主要な特性を有することが示されているということができるから、ポリラクチド類を生体吸収性癒着防止材として使用することは、当業者であれば容易に想到しうるといわなければならない。

そして、甲第7号証によれば、引用例2記載のものでは、ポリラクチド類からなる縫合糸、人工血管、人工腱等は、生体組織の損傷面同士を接触させて固定するのを助けるために使用したり、新生組織の足場を与えるために使用するものにすぎないことが明らかにされているから、ポリラクチド類が癒着防止材として使用されることと技術的思想において何ら排斥しあわず、かえって、インプラント材としてポリラクチド類を使用しようとする本願発明と技術的課題(目的)において共通することが明らかである。

したがって、上記の原告の主張も失当である。

5  以上において検討したとおり、引用例2に示されたインプラント材に使用されるポリラクチド類を引用例1記載のゼラチン膜などのように癒着防止のための遮蔽膜として用いることは、当業者が容易に想到することができたというべきであるから、同旨の審決の認定判断は結局正当であり、取消事由2の主張は理由がない。

三  取消事由3について

本願明細書には前記第二の一4(3)の記載があり、また、甲第3号証によれば、本願明細書に「癒着防止材として好ましいのは、癒着の起こりやすい期間は生体内で充分にその形態を保っており、癒着の恐れが解消した後は速かに生体により分解吸収されるものであるが、上述した重合体は、後述する実施例にも示すように、重合組成や分子量を適当に選択することにより、各症例に最も最適なものを提供することができ、この点でも癒着防止材として好ましい。」(当初明細書8頁12行ないし9頁1行)との記載があることが認められ、原告主張のとおり、本願発明の癒着防止材が、生体吸収性を有し、重合組成や分子量を適当に選択することにより、症例に合わせ、癒着の起こりやすい期間は生体内で充分にその形態を保ち、癒着のおそれが解消した後は速やかに生体により吸収されるものを提供できるとの作用効果を奏するということができる。

しかしながら、前記二3等において検討したとおり、生体吸収性インプラント材においてインプラント材が目的を達した場合に速やかに生体に吸収されることが望ましく、また、前記一4において認定したように、引用例2に「ポリラクチドは、多くの可能性を秘めた興味ある医用材料の出発原料である。(中略)生体が自力で回復するまでの手助けをするだけで、その後は静かに消えていくというのは、まさに理想的な医用材料である。」と記載されていることとも対比すれば、本願発明の癒着防止材が、生体吸収性を有することは、引用例2の記載から当然に予測できる作用効果にすぎないというほかはない。

そして、甲第7号証によれば、引用例2には、「ポリラクチド類は、GA、DL-LA、L-LAのモノマーの組合せにより、非晶性から結晶性までの材料を合成することができ、また分解吸収速度を大幅に変化することも可能である。」(10頁左欄10行ないし14行)との記載、「分解吸収速度は、GA-LA共重合体>DL-LA-L-LA共重合体>P-L-LAの順で減少し」(7頁左欄7行ないし8行)との記載及び「比較的高分子量のポリラクチドを用いているため、製剤性とか吸収速度に少なからず問題がある。しかし、この欠点は低分子量ポリラクチドを用いればかなり解決できる。」(7頁右欄下から4行ないし末行)との記載があり、また、ポリラクチドを使用した具体例として約6か月(6頁右欄下から12行)、4か月(9頁左欄11行)、40日(9頁左欄30行)で吸収消滅する例が示されていることが認められる。この認定事実によれば、当業者であれば、引用例2の記載から、癒着防止材を構成する重合組成、分子量等を適当に選択することによって、本願発明において使用されるポリラクチド類においては生体に吸収されるまでの時間が調整可能であると予測しうるというべきである。

したがって、上記の本願発明の作用効果は、引用例2の記載から容易に予測できるものであって、格別のものということはできない。

なお、審決は、「該生体分解性重合体膜の分解は引用例2に示されるように、数か月を要することから、該膜が分解吸収される前に癒着防止機能を十分に発揮することは明らかなことであって、本願発明による作用効果は、引用例1及び引用例2記載のものから予測される範囲内のもの」と認定判断しているが、上記のとおり、引用例2は生体分解吸収速度を調整できることを示しており、具体例として数か月といいうるものも記載している。そして、本願発明の癒着防止膜には生体分解吸収速度を数か月として当該膜が分解吸収される前に癒着防止機能を充分に発揮するようにしたものも包含されうるから、少なくとも、審決の結論に誤りはないといわなければならない。

そうすると、取消事由3は理由がなく、その主張に係る審決の認定判断は少なくとも結論において正当というべきである。

四  よって、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求は失当として棄却すべきである。

(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 成田喜達 裁判官 佐藤修市)

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